
旅行者から住民の一人となりその場所で生活を送っていると、当たり前のことかもしれませんがやがては慣れてくるものです。とはいえ“その場所”を知り尽くしているかといえばそうでもなく、ふと思い立って改めてゆっくりと散策してみることにしました。そういう気持ちで歩いてみると、自分が暮らすソイもなかなか悪くないということに気づくものです。ここには僕の何年分かの人生が転がっていて、それらがふと脳裏に浮かび上がったりするわけです。
そこで見たこと、嗅いだ匂い、知り合いになった人たち、食べた食事や飲んだお酒、そして少しずつボキャブラリーが増えてきたタイ語で交わしたちょっとした会話。もちろんそんなふうに暮らしていると良いこともありますが、かなりうんざりするようなこともあります。それでも時間というものが知らないうちにすべてを包んでしまい、いつの間にか心の引き出しのどこかにしまい込んでいるのでしょう。
僕が暮らしているソイはちょうどバンコクとサムットプラカーンの境目辺り。大きな寺院(瞑想寺として有名で世界中から人が訪れます)を中心に成り立っているようなところがあり、日本でいうところの門前町みたいな佇まいです。だから、ソイ自体が参道としての役目を持っていて、早朝には橙色の袈裟を着た僧侶が托鉢をする光景も日常的で、オーセンティックなタイらしさがあちこちに残っています。歩道の大きな街路樹が心地いい木陰をつくり、最近でこそコンビニが増えてきましたが、小さな商店が軒を並べ庶民のための市が立つレイドバックした雰囲気です。
ソイを奥の方まで歩いていくと、きっと何十年もそこに住んでいる人たちのお屋敷街となります。ここにはゴージャスで威圧感たっぷりな高層コンドミニアムはありません。その代わり広い庭に犬が呑気に寝転んでいるような瀟洒な家が建ち、こぢんまりとした控え目なマンションが点在しています。皆さんも住まいの近所を散策してみてください。もしかしたら素敵な発見があるかもしれません。
文・吉田一紀