
タイという異国の地で、人々の健康や不安に寄り添う日本人医師たち。ここに、いよいよ5人が勢揃いした。その名はJ-5(Japanese Doctors 5)。それぞれの、医療の現場だけでは見えてこない素顔と人生。少しのぞいてみれば、白衣の奥にある人間らしさが見えてくる。

小児科・新生児科。4年間のタイ駐在で邦人社会をサポート、2023年度からは出張で医療相談やセミナーで継続支援中。プライベートでは精神力の限界に挑戦する様々なスポーツを楽しむアウトドア派。
シュバイツアーに憧れ医師になろうと思ったのは小6の時。ただ、中学・高校時代は将来設計よりも目の前のことに興味が向き、医師とは全く違う方向に関心が。青春時代にはありがち。そして大学受験を迎えた頃に、再び「医師になりたい」という気持ちがふつふつと。
兵庫県立こども病院の研修医に。最初は小児外科を志していたが、研修医時代に新生児医療の急速な進歩を目の当たりにし、新生児医療の世界へ。当時はまだ1000g未満の赤ちゃんの生存率は低く、その治療に必要な技術とケアに没頭することとなった。
いつか海外へという思いはあったが、キャリアを積んでいた大阪の社会医療法人愛仁会からサミティベートへ出向したことで、活躍の場がタイとなる。ちなみにタイ赴任は2019年。当初日タイ半々の予定だったが、世界がコロナ禍に突入したことで日本への帰国が困難となり、コロナが明けるまでサミティベートで邦人サポートに専念することになった。現在は出張ベースで医療相談等を継続中。
サミティベートで医療相談をしていると、在タイ日本人患者(保護者)にストレスを抱えている人が多いと感じる。日本と異なる日常生活はもちろん、職場や家庭内にストレスの要因があるのでは。「タイはサバイサバイだから」とは言っているのに、実際にはそうではない人が多数。悩みや悲しみを受け止めたり、相談・発散する雰囲気がないのが気になるところ。
若い頃、一時期、教師になろうと思ったことが。それ以外だと、人口増加と食糧問題対策に興味があり、農業改良に関わる研究に関心を持っていた。なんとなくイメージしていたのは、日本で収入を得ながら海外を支援するような仕事。現在はそれに近いのかな。
午前4時半に起床。3~5kmのランニングをこなしてから一度帰宅。身支度をして午前6時半頃家を出て歩きと電車で病院へ。毎週水曜日には在宅医療が必要な子どものための訪問診療。その他はランダムだが、患者用のカンファレンスや役員会の資料作りなど。帰宅時間は遅くても午後6時半頃。ちなみにお酒はあまり飲まない。

医学博士。外科専門医。消化器外科専門医・指導医。がん治療認定医。産業医。関西医科大学医学部非常勤講師。関西医科大学消化器外科および大阪府済生会泉尾病院を経て来タイ。
経験を積む過程は一進一退という感じ。少しスキルが付いていくたびに厳しく叱られることの繰り返し。恩師から「きみは病人を診ずに、病気しか診ていない」と指摘され、それが医師としての一つの転機となった。もちろん、タイに来たのも大きな転機。
ロサンゼルスのUCLAへの研究留学が決まっていたものの、訳あって中止に。外科の指導医から海外での経験は、医師としてはわからないが人生にとっては絶対にプラス!と言われて、タイで医師として働くことを決意。サミティベートで面接の際は、渡航とは関係なく勉強していたタイ語のスキルが活きた。
国民性なのかもしれないが、日本人の患者さんはとても細かいことにも気づき、考える傾向があると思う。その一方で、聞きたい事や言いたい事があっても衝動や願望を抑えてしまうのも日本人的。医療相談では、いつもそのことを念頭に入れて対応。
幼少期から医師になるように刷り込まれて育ったので、医師になることを疑わなかった。だけど、医師以外の職業にも憧れたことがあり、それはパイロットか電車の運転士。
研修医時代には職場内での飲み会が多く、みんなパワフルだった。とにかくみんなが多忙だったため、夜中の12時に仕事が終わってから大人数で食事へ繰り出すことも日常。ちなみに好きな女性のタイプは矢田亜希子。
日本にいた頃よりも飲酒頻度は減って、いい傾向だといえる。しかし、美味しいタイ料理のせいか偏食傾向(医師なのに)にあってちょっと太り気味。ただ、ゴルフの腕は確実に上がっている。全責任が自分にあるゴルフというスポーツのストイック性が好き。

産婦人科専門医。昭和大学病院、昭和大学横浜市北部病院、昭和大学江東豊洲病院にて周産期母子医療センターで勤務。婦人科手術も多数執刀経験あり。2023年6月からタイ駐在に帯同。2児の母として子育てにも奮闘中。
理工学部から一般企業に就職。華やかな職場で働くも、祖母の闘病に付き添うなかで医師の仕事に触れ、「人の役に立つ実感」に心が動いた。24歳で医学部再入学。遠回りのようで、結果的には自分に最もフィットする道だった。
タイ移住は夫の赴任と産休の節目が重なったタイミングだった。日本での仕事を離れることに迷いもあったが、「今しかない」と判断。医師としての転機は、人生の転機でもあった。
日本の病院を離れ、海外で異業種の人と関わる中で価値観が大きく変わった。これまでの「当たり前」が実は狭い世界だったと気づく。外に出たことで、今後の自分のあり方を見直す時間が生まれた。だからこそ、これからがいろいろ楽しみ。
海外で相談を受ける日本人の患者さんは、現地医療への不安が強い傾向がある。「日本が一番」という思い込みが壁になることも多い。必要なのは、正しい情報と積極的な質問。医療は "対話" で精度が上がる。不安があれば遠慮せずにいつでも相談を。
前職時代に自問していたのは「情熱を持ち続けられるか」という点。忙しさや厳しさよりも、自分にとってやりがいを持って続けられる仕事を求めた結果が医師という選択。遠回りではあったが、それが自分の芯を強くしたのだと思う。
仕事後は着替える間もなく夕食の準備へ。子どもの生活リズムに合わせるため、スピード勝負の毎日だ。オフの日は、気になるお店に行って一人でゆっくりランチをするひとときが息抜きの時間。そんな余白も日常には必要。

順天堂大学附属順天堂医院にて腎臓専門医として勤務。その後、都内の内科クリニック、地元茨城の病院で内科医・透析医として勤務。2025年8月からタイ駐在に帯同。
研修医時代は、とにかく忙しかった。循環器内科、救急外来などでのハードな日々、終わらない診療、深夜の対応。それでも楽しかったのは、修羅場をくぐった仲間との一体感があったから。研修医中に経験した東日本大震災では液状化現象という非日常も経験。過酷な現場の中で、医師としての“芯”が育ったのだと思う。
タイ移住のきっかけは夫の赴任。いわゆる"駐妻"という立場にもなれたけど、「医療に触れていたい」と即行動。Googleで「駐妻 女医」と検索して見つけたのが医療コーディネーターという仕事。自分で動き、自分で道を切り拓いた。
南米、アフリカ、インド…学生時代は世界を巡るバックパッカー。だからだろうか、タイでの生活も「長めの旅みたいなもの」と思っている。環境の違いに戸惑うよりも、まずは楽しむ。自分の「変化をストレスにしない軽やかさ」は、医師という職業の重さをいい意味で中和しているかも。
人と会話するのが好き。腎臓内科や生活習慣病の診療では、患者の日常を知ることが不可欠。食事、飲酒、生活リズムなど、それらはカルテだけでは見えない。だからこそ会話が効く。世間話のようでいて、実は本質を掴んでいることが多々ある。
医師という仕事は、早い段階で進路が固定されてしまう。専門性が高い分、他分野への転換は難しく、海外では資格の壁もあり、案外と「自由そうで自由じゃない」。それでも続けるのは、人と向き合う仕事の手応えがあるから。選択肢が少ないのではなく、この道がそれだけ濃いのだ。
生活習慣病を診てきた医師として、伝えたいことはとてもシンプル。「まずは健康診断を受けてください」。海外生活では食事も飲酒も崩れやすい。病院とは無縁だった人ほど気をつけてほしい。特に〝なんとなく大丈夫”が一番あてにならない。医師の診察や検査を受けて、自分の健康状態を客観的に知ることが大切。

救急専門医。聖路加国際病院救急部で勤務。2025年4月から妻のタイ駐在に帯同。子育ても奮闘中。
キャリアの中で「ここが転機」という明確なポイントはなかった。しかし、救急医療の現場は常に極限。診断が難しい症例や、コロナ禍で搬送先が見つからない患者を受け入れた経験など、一つひとつが濃密。ときに判断を問われ、ときに感謝に救われる。その積み重ねが、医師としての軸になったのかも。
タイ在住の日本人患者については、日本にいた頃と大きな違いは感じない。むしろ印象的だったのは、タイの医師の丁寧な診察。子どもを連れて受診した際、細やかなチェックで中耳炎を見つけてもらった経験から、医療に対する姿勢の違いを実感した。場所が変わっても、信頼の本質は変わらない。
理想の女性像は一貫して「自分にないものを持っている人」。外見も内面も、自分とは異なる要素に魅力を感じる。実際のパートナーもまさにその条件に当てはまる存在。価値観も役割も違うからこそ、関係はバランスを保つ。違いを楽しめることが、長く続く秘訣なのかもしれない。
タイ移住のきっかけは、妻の海外赴任。単身赴任という選択肢はなく、「行くなら一緒に」というのが前提だった。渡航前には育休や非常勤勤務を選び、家族との時間を優先。医師としてのキャリアというより、“どう生きるか”を優先した決断だった。結果的に、その選択が新しい生活と働き方をもたらした。
医師以外の道を考えると、意外にも選択肢は幅広い。祖父が営んでいた梅農家への親近感から農業が濃厚。あるいは金融の世界、さらには現代美術や陶芸といったアートの分野にも強い関心を。どれも「仕事にするかは別」としながらも、興味のアンテナは常に外へ向いている。
同じことの繰り返しは好きじゃない。研修医時代の急成長を知っているからこそ、停滞には敏感。新しい分野への挑戦や、これまでやってこなかったことへの興味は尽きない。タイではテニスを再開し、かつては三味線にも没頭。ブログや投資も含めて、日常の中に〝新しさ”を仕込むことが好き。