最近、同じような年齢の人たちと話していると、トイレの話が多くなったような気がしています。それも便器がどうのこうのといったことではなく、主に尿意にまつわる話に花が咲くんですね。「若い時はもっと我慢できたよね?」「就寝後、何回トイレに行く?」「急に尿意が強くならない?」などというのがその時の話のテーマです。
尿意というのは、カラダ(脳)が訴える感覚の中でも地味といえば地味。そりゃ“痛い”に比べたら苦痛としての度合いは低めかもしれませんが、下半身と脳が妙な感じでリンクする“はっきりしない”不快感だといえるでしょう。
さて、先日BTSの駅でそんな尿意に関する、こんなことがありました。駅近くのスターバックスで打ち合わせを済ませた際、少しトイレに行きたい感じはしていたのですが、「まだ大丈夫」とたかをくくってトイレには行かないでそのまま駅へ向かいました。スタバから駅までは5分もかからない距離です。ところが駅の改札を通り抜けようとした際に、例の尿意が急激に激しくなってきました。「あれ?ちょっとまずいかも」と思ったのですが、ほとんどのBTSの駅には乗客用のトイレがありません。とはいえそのまま我慢し続けるのはかなり危険だったので、思い切って駅の職員に「もうダメかも、トイレはどこ?」と、かなり真剣に申し出ました。するとその女性職員はなぜか英語で「Follow me」とつぶやき、職員用のトイレに案内してくれました。きっとその時の僕の立ち居振る舞いは相当情けなかったと思います。と同時に、なぜこんな急にトイレに行きたくなるのか自分の感覚を疑いたくなりました。
尿意の感覚というのは、ある程度自分でコントロールできるのが当たり前でした。しかし、その感覚だって年齢を重ねると共にちょっとずつズレてくる。トイレがない場所へ行くのが不安だという人の気持ちがわかるようになってきました。そこで、一つはっきりといえることは、尿意はあまり我慢したところで意味がないということなのです。
文・吉田一紀