外交官という職業で生きてきた人の人生にとても興味があった。その中で起こったこと、見たり聞いたりしたこと、出会った人たち。当然だと思うが、そこには面白くないことや悲しいこともあったはずだ。ただ、すべては“時間”というものに包まれて、その人の意識の中にしまい込まれている。
前駐タイ日本国特命全権大使として知られる梨田和也さんは、イギリス留学を皮切りにして30代でパキスタン、40代で米国ワシントンDC、50代でイラク、そして60代でタイに赴任。中でも駐イラク大使には自ら手を挙げて志願したという。「当時、イラクとアフガニスタンだけは志願制だったんです。危険が付きまとう環境でしたらからね。イラクで亡くなった奥大使をリエゾンオフィサーとして推薦した手前もあり、私にはイラクに行く責任があったんです」。
そして梨田さんが日本の大使としてタイに赴任したのは2019年だった。それは世の中にコロナウイルスが本格的に影を落とし始めた頃でもある。「その国にいかに食い込み、人間関係を構築しながら有益な情報を得るのは外交官の大事な仕事です」。仕事はインプットだけではない。こちらの言い分をしっかりと伝えるのも大使の役割。“お前なら!”というような絆をつくっていく、まるで商社マンのような仕事をしてきたわけである。
そんな梨田さんにとって生き方の節目となったのは、バンコクのナイトクラブでコロナウイルスに感染した時のこと。人生においてあれだけ世間にたたかれたことはなかったという。「日本の週刊誌が母親のところへまで取材に来たのですが、母は“男の人ってしょうがないわね”と答えたんです。これには気持ちが少し救われました。やはり母には頭が上がらない」。ただ、大使館のリーダーとして館員からの信頼を失ったことは事実だとして、自分をもう一度見つめ直すことにした。梨田さんが始めたのはコーチングを学ぶことで、自らを客観視しながら、課題にコミットして自分を変えていく心の旅へ出たわけだ。
そして2024年3月に外務省を退職。「辞職した理由は次の赴任先が決まる前にタイに残ることを決意したからです。タイにおいて陰りの見える日本の存在感に少しでも歯止めをかけたいと思いました。JCCの理事にも推薦してもらったので日本企業を鼓舞していきたいですね」。辞職の翌月からコーチングの学習を本格的に開始。コーチングスキルの資格も取得した。それは梨田さんの“聞く力”を強めると共に、自分に対する外部からのフィードバックを受け止める心の余裕を持たせたという。
「自分の中の未完了リストをつくってみたのですが、その一つがタイ語でした。今までさぼっていたタイ語を特訓中です。あとは体重を減らすことかなぁ」。人はいくつになってもチャーミングでいられる。それがきっと、今の梨田さんなのかもしれない。
梨田 和也
CHAROEN POKPHAND GROUP CO., LTD.
Advisor
1960年生まれ。東京大学教養学部アメリカ科卒。1984年外務省入省。1993年在パキスタン大使館一等書記官、2002年在アメリカ合衆国大使館参事官、2013年駐イラク特命全権大使、2017年国際協力局長、そして2019年には駐タイ特命全権大使に着任。2024年3月に外務省を依願退職。現在は、タイで最大の財閥であるCPグループ(チャロン・ポカパン・グループ)でアドバイザーを務める。