駐夫という生き方

駐夫という生き方

特集

タイに住み、「仕事を持たない側」を選んだ男たちがいる。朝、子どもの弁当を作り、洗濯物を干し、夕方にはスーパーで献立を考える。かつては会社で肩書きを持ち、部下を抱えたりして、結果を追いかけていた人たちだ。だが今、彼らの一日は家族を中心に回っている。「男は働くもの」。そんな価値観を、疑ったことすらなかった人もいる。仕事を離れた瞬間、自分が何者でもなくなるような不安に襲われた人もいた。これは、けっして“主夫礼賛”の特集ではない。キャリア、収入、家庭、男らしさ、孤独。そして、生き方。タイでの暮らしの中で、彼らは人生の優先順位を問い直していた。彼らは、いったい何を失い、何を得ることができたのだろうか。

プライドよりも、子どもの“今”が大切

妻のタイ赴任に伴い、自身の会社の「帯同休職制度」を利用して渡タイ。現在は家事の9割を担いながら、残り少ないタイでの生活を味わっている。

ヨウスケさん(仮称・42歳)

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自分のキャリアより、家族を選択

ヨウスケさんがタイへの帯同を決めたのは、「家族で一緒にいたかったから」だった。妻は海外赴任というキャリアの節目を迎え、自身も仕事が落ち着いていたタイミング。加えて一番上の子どもは小学校高学年で、反抗期に入る前の、まだ親との距離が近い時期だった。「この先、こんなに密に子どもと関われる時間はもうないかもしれないと思ったんです」。仕事よりも、子どもたちの“今”を逃さないこと。その思いが、帯同を決める大きな理由になった。

会社には、配偶者の海外赴任に同行するための休職制度があった。従来は「妻が夫に帯同する」ケースを想定した制度だったが、このご時世で性別が限定されているわけではない。結果として、男性第一号として制度を利用することに。周囲からは「男のプライドはないのか」といった声も聞こえたという。だが、ヨウスケさん自身には大きな葛藤はなかった。「妻も出産や育休でキャリアを中断してきたので、今回は自分の番かな、と」。かつては共働きで、送迎や仕事に追われる毎日だった。だからこそ今、子どもを送り出し、夕方には一緒に食卓を囲める生活を、特別な時間として味わっている。

子どもたちの弁当が教えてくれたこと

現在のヨウスケさんの朝は早い。起床は朝5時45分。日本人学校へ通う子どもたちのために、毎朝弁当を作る。6時半過ぎには送り出さなければならないため、朝のキッチンはドタバタだ。「最初は本当に大変でした」。どこで買い物をするのがいいのかわからない。どの食材を買えばいいのかも迷う。料理は作って終わりではなく、献立を考え、片付けまで含めて延々と続く。その積み重ねを経験して初めて、「毎日弁当を作る主婦って本当にすごい」と思うようになったという。特に面倒なのは、料理よりも片付け。「作るより洗い物の方が嫌ですね」と苦笑する。

家事分担は、今やほぼ9対1。料理、洗濯、掃除、食器洗いまで、基本的にはヨウスケさんが担っている。妻は出張も多く、帰宅が遅い日も珍しくないのだが、不思議と不満は少ない。「共働きの頃の方が、むしろお互いに余裕がなかったんです」。今は自分に時間的・精神的な余白がある。だから相手にイライラする機会も減ったという。一方で、育児の難しさも痛感した。子どもが何度言っても同じことを繰り返す。その積み重ねの末に怒ってしまう。「ああ、これが母親たちが些細なことで怒っているようにみえる理由だったのかって」。かつて理解できなかったことが、自分の日常になっていた。

40代で訪れた人生の夏休み

タイでの生活を、ヨウスケさんは「大学生と老後が入り混じったような時間」と表現する。会社に追われることもなく、子どもの帰宅時間を軸に一日が流れていく。最初はせっかく時間があるなら何か勉強しなければ」と焦りもあった。タイ語講座やオンライン大学院を考えたこともある。しかし2年目に入る頃、その感覚は変わった。「何かを積み上げるためだけに時間を使うのが、もったいなく感じたんです」。今は、資格や成果ではなく、この期限のある時間を味わうと決めている。

でも、会社から完全に切り離されたわけではない。休職期間が終われば、日本で元の職場へ戻る予定だ。それでも、一度“仕事中心”の価値観から距離を取ったことで、見える景色は変わった。「働いていた時って、ずっと仕事のことばかり考えていたんですよね。でも今は、家庭のことを考えられる」。駐夫生活は、世間が想像するほど特別な生き方ではないのかもしれない。ただ役割が入れ替わっただけ。けれどその“入れ替え”によって、彼は残りのタイ生活を、家族と過ごす時間として意識的に選び取っている。

改めて見直した、“父親”という時間

東京出身。妻と娘との3人暮らし。2024年、妻のタイ赴任に伴い、自身の仕事を休職してバンコクへ移住。日本では役職にも就いていたが、現在は家事と育児を中心に生活している。

タカシさん(仮称・46歳)

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最初は「行きたくない」という思いも

妻から海外赴任の話を聞いた時、タカシさんは素直に喜べなかった。むしろ、「行きたくない」が本音だったという。日本では職場で部下を持つ立場にもなっていた。異動したばかりの部署で、仕事にもやりがいを感じていた時期であった中、職場を離れることに強い抵抗があった。「中途半端なところで抜けることになるという感覚がありました」。

一方で、妻にとって海外赴任は貴重なキャリアアップの機会。さらに手のかかる年頃の娘の子育てを考えれば、単身赴任という選択肢は現実的ではなかった。そして、タカシさんは「行くか、行かないか」ではなく、「行くことをどう自分で納得するか」という葛藤を繰り返すことになる。幸い、勤務先には配偶者同行休業制度があり、職を失わずに済む環境はあったものの、それでも心は簡単には整理できなかった。けれど同時に、妻の挑戦を止めず、娘と一緒に暮らすためには、自分がこの時間を引き受けるしかないとも思ったという。最終的に帯同を決め、バンコクでの生活をスタートさせた後も、同期や後輩の昇進の話を耳にするたび、自分だけがレースから降りたような感覚になる。「自分のキャリアは、諦めたんだなって」。その言葉には、当時の整理しきれない感情が滲んでいた。

娘中心の毎日が、人生を書き換えていく

バンコクでの生活は、娘を中心に回っている。学校の送迎。習い事の付き添い。英語やダンス、お絵描き教室。気づけば一日のスケジュールは、ほとんど娘の予定で埋まっていく。もちろん大変だし、毎日向き合っているからこそ、イライラしてしまう日もある。移住生活の中で、娘の通学先が決まらず学校探しに奔走した時期は、不安と焦りで特に苦しかったという。

そうした生活の中で、家族のためにと自分で決断した帯同のはずなのに、「自分が犠牲になっている」と感じてしまう瞬間もあり、そんな感情を抱く自分自身に、さらに自己嫌悪してしまった。それでもタカシさんは、「後から振り返ったら、きっと一番大事なのは娘と向き合うこの時間だったと思う」という。

日本にいた頃は、娘を寝かせたあと、再びパソコンを開いて深夜まで仕事をしていた。仕事をやり切る達成感はあった。しかし今は、娘の寝顔を見ながら一日を終える。その時間の質は、以前とはまるで違う。今は、娘の成長を支えることが、自分自身にとっても意味のある時間になり始めている。気持ちが変化する過程には、学校関係のコミュニティや、同じ境遇の駐夫仲間との出会いがあった。

仕事以外の場所で、役に立てる自分に出会う

転機のひとつは、身近なつながりの中で頼まれた動画制作だった。ある節目に向けたメッセージ動画の編集役を引き受け、周囲の人たちと協力しながら一本の映像を完成させた。日本で仕事に追われていた頃には、きっと触れることのなかった世界。動画編集のスキルを覚え、人とつながり感謝される。仕事とは違う場所で、「誰かの役に立てる感覚」を得られたことは大きかったという。

また、別のコミュニティではイベント運営にも関わるようになった。同じバンコクで暮らす駐夫仲間と交流し、様々な事情や思いを知ることも刺激となっている。かつては、所属といえば仕事だったが、今はそれだけではないと思える。「人生を豊かにするものって、仕事だけじゃないんですよね」。そう言えるようになるまでには、時間が必要だった。キャリアへの未練が、完全になくなったわけではない。だが、それでも今の時間には確かな意味がある。娘の成長を間近で見守れること。家族の生活を支えられること。そして、自分自身も少しずつ変わっていけること。タイでの駐夫生活はタカシさんにとって“キャリアを諦めた時間”ではなく、“人生の優先順位を書き換えた時間”になりつつある。

育児もキャリアも、止めないために

妻と二人の子どもとの4人暮らし。2023年に勤務していたIT企業を退職し、フルタイムで働く妻のタイ赴任に帯同。現在は家事と育児を担う一方で、ブログ運営や英語学習、AIの活用など、将来を見据えた自己投資を続けている。

ケンジさん(仮称・40歳)

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「キャリアを止める怖さ」は、ずっと消えなかった

妻の海外赴任が決まった時、ケンジさんの頭に最初に浮かんだのは、「数年後、自分はちゃんと社会復帰できるのか」という不安だった。IT業界は変化が早い。数年離れるだけで、知識もトレンドも一気に古くなる。しかも、若い世代が次々と台頭してくる世界。会社には確認したが休職制度は存在せず、提示されたのは再雇用制度のみ。戻れる保証はない。それでも最終的に、ケンジさんは退職を決断した。「妻一人に全部背負わせるのは無理だと思ったんです」。家のことは自分が引き受ける。その覚悟が、帯同の前提になった。

異国で働きながら、家事も育児も一人で担う。それがどれほど大変かは、コロナ禍のリモートワーク期間中にすでに実感していた。保育園の送迎も夕食づくりも、当時から自然と自分がやっていた。だからこそ、妻の仕事に帯同することについては、どこか冷静に受け止めていたという。もちろん、怖さはあった。ダブルインカムからシングルインカムへ。バンコクの予想外の日本食材・日本食レストランの価格や想像以上の物価高と円安。それでも、「後悔はない」とケンジさんは言い切る。「不安はあります。でも、不安だから何もしないのが一番まずいと思って」。

“主夫”の時間を、未来のために使う

現在の一日は、朝5時半から始まる。弁当作りや子どもの送り出し、それから家事。そして、午後3時半に子どもたちが帰宅するまでの数時間が、自分の時間になる。だが、その時間は単なる自由時間ではない。ブログを書く、SEOを研究する、AIを試す、英語を学ぶ。ケンジさんは、主夫生活を「キャリアの空白期間」にしないと決めている。現在運営しているバンコクのグルメブログは、月間訪問者数7,000人規模まで成長した。個人運営としてはかなり大きい数字だ。

さらに最近は、生成AI時代の変化にも向き合っている。検索結果だけで情報収集が完結する“ゼロクリック検索”によって、ブログのPVは大きく減少した。だがケンジさんは、それを悲観だけでは終わらせない。「この変化にどう対応するか自体が、次の武器になると思うんです」。最近ではブログのデータベース化やAIの導入にも興味を持ち始めている。会社を辞めたからといって、成長まで止めたくはなかった。その感覚が、今の彼を支えている。

「主夫」の先で、一人の生活者になる

興味深いのは、ケンジさんがバンコクの“駐在妻コミュニティ”に自然と溶け込んでいること。昼飲み会やホテル朝食の“朝シャン会”、そしてマンション内の情報交換。一般的には女性中心になりやすいコミュニティの中に、ケンジさんはごく自然にいる。「会社の顔を外せたのが大きかったかもしれません」。日本にいた頃は、無意識に“会社員としての自分”を演じていた気がするという。だが今は違う。子どもの話もするし美味しい店の情報交換も楽しんでいる。他愛もない雑談で笑うそんな時間が、異国での孤独を和らげてくれた。

家族との時間が増えたことで、子どもたちの小さな変化にも以前より敏感になった。子どもがテニスに夢中になれば、一緒にラケットを握り、汗を流す。流行っているとコミュニティで知ったシールを買ってあげたら、とても喜んでくれた。どれも大きな出来事ではない。けれど、仕事に追われていた頃なら見過ごしていたかもしれない日常だ。家事を担い、子どもの話を聞き、人とつながる。その積み重ねの中で、「主夫」という肩書きだけでは括れない自分の居場所を少しずつ広げている。一人の生活者としての穏やかさと、次へ進むための静かな意志がケンジさんには滲んでいた。

「何者でもない自分」と向き合う、バンコクの日々

妻のタイ赴任に帯同する形で来タイし、自身は会社を休職。家事と育児を中心に生活を送り、妻と4歳の息子との3人暮らし。炊事、洗濯をはじめ復職後を見据えたスキルアップにも取り組む毎日だ。

ミノルさん(仮称・34歳)

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家族を選んだあとに、残った問い

妻の海外赴任が決まった時、ミノルさんは迷わずに帯同を選んだ。家族全員で一緒に暮らしたかったのと、妻のキャリアを尊重したかったことが、その決断の背景だった。しかし、いざ仕事を離れた瞬間、それまで積み上げてきた肩書きや評価が、一気に遠ざかっていく感覚があったという。「自分って、仕事がなくなったら何者なんだろうって」。特にタイへ来た当初は、その問いが何度も頭をよぎった。自身も日本ではフルタイムで働いていた。日々の仕事に追われながらも、「働いている自分」がそのまま社会の中での自分の価値だと思っていた部分があった。周囲からは「珍しいね」と言われることも多かったが、悪意があるわけではない。それでも、男性が主夫をするという生き方が、まだ社会の中で特殊なものとして見られていることを実感した。理解されづらい空気の中で、自分自身もまた、「男は働くもの」という固定観念から完全には自由ではなかったのかもしれない。

家事と育児の中で、心が空っぽになる瞬間

現在の生活は、家事と育児が中心だ。食事を作り、片付けをし、洗濯を回し、子どもの世話をしているうちに一日が終わる。それでも家事には終わりがない。しかも、誰かに成果として評価されるものでもない。「炊事洗濯をしている時に、ふと虚無感が来るんです」。社会にいた頃は、成果や数字、役職のように“わかりやすい評価”があった。しかし今は、どれだけ家事を頑張っても、履歴書に書けるわけではない。そうしていくうちに以前読んだことがある女性たちの生きづらさを描いた小説を思い出した。妻のように子育てのためにキャリアを断絶された女性たちも、同じような不安を抱えていたのかもしれない。

一方で、救いになったのは息子の存在だった。泣いたり笑ったり、怒ったり甘えたり。子どもの感情が毎日すぐそばにある。以前なら見逃していたような小さな成長を、今はひとつずつ見ることができる。「特別な出来事じゃなくて、日常そのものなんですよね」。最近は、息子と一緒に写真を撮りに行くこともある。子どもの低い視点で切り取られた景色に、自分では見えなかった面白さを教えられることもあるという。

肩書きの他に、自分を探す

駐夫生活を通じて、ミノルさんは以前より「自問」と「内省」をするようになったとのこと。働いていた頃は、毎日をこなすことで精一杯だった。だが今は、立ち止まって考える時間がある。自分は、何を大事にしたいのか。仕事とは何なのか。家族と生きるとは、どういうことなのか。その問いに、まだ答えは出ていない。ただ一つ言えるのは、「今までの自分が、仕事以外は何もできないと思い込んでいた」ということだった。料理も、育児も、コミュニティとの関わりも、実際にやってみると想像以上に奥深い。社会との接点は、会社の中だけではないことも知った。

もちろん、不安はある。復職への焦りもあるし、この先のキャリアへの迷いも消えてはいない。これまで培ってきたスキルを生かすのか、まったく違う方向へ進むのかも、まだ決めきれていない。それでもミノルさんは、以前とは少し違う目線で人生を見るようになった。働く自分だけが、自分ではない。タイでの駐夫生活は、そんな当たり前のようで難しいことを教えてくれている。今は、家を支えながら、自分の力で次に立つ方法を探している。

駐夫という機会で、自分を取り戻した48歳

妻と13歳の娘との3人暮らし。2022年妻の日本語教師としての海外赴任を機にタイへ移住し、自身は仕事を辞めて“駐夫”という立場を選んだ。現在は家事や育児を担いながら、家族中心の生活を送っている。

プラーさん(仮称・48歳)

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「働く役」を降りるという決断

タイへの移住が決まった時、プラーさんは長年勤めていた塾講師の仕事を辞めた。だが、その決断は世間が想像するほど重苦しいものではなかったという。「妻がずっと努力してきたのを見ていましたから」。妻は出産後に大学院へ進学し、修士号を取得。その先にあった海外派遣というチャンスを、プラーさんは自然に、そして当たり前に応援したいと思ったのだ。

もちろん、葛藤がゼロだったわけではない。仕事を辞めるということは、収入だけではなく、社会との接点や肩書きを手放すことでもある。特に、日本で刷り込まれてきた「男は働いて家計を支えるもの」という感覚は、完全には消えなかった。自由に使えるお金が減った時、どこか説明しづらい居心地の悪さがあったという。それでも彼は、「失ったもの」より「手に入ったもの」の方が大きかったと振り返る。塾講師時代、帰宅は夜11時過ぎ。娘と夕食を囲めるのは休日だけだったが、今は毎日家族で食卓を囲める。娘の弁当を作り、「今日の唐揚げおいしかった」と言われる。そんな何気ない日常が、以前よりずっと近い場所にある。

家事の向こう側にあった“孤独”

家事を始めた当初、プラーさんは戸惑った。それは料理を作るだけでは終わらないから。献立を考え、買い物をし、片付けをする。名もなき段取りが延々と続く。「家事ってこんなに時間がかかるのか」と驚いたという。一方で、その積み重ねの中で、これまで家事を担ってきた妻や親への見え方も変わった。「働きながら家のことをやっていたって、本当にすごいことだったんだなって」。

だが、本当に苦しかったのは別の部分だった。移住直後、妻には職場があり、娘には学校がある。しかし自分には所属先がなかったのだ。昼間に一人で過ごし、動画を見て時間を潰す日々。日本にいた頃は感じなかった孤独が、じわじわと広がっていった。そんな状況を救ったのが、コミュニティだった。教会、日本人駐夫の集まり、そして趣味の釣り。タイの釣り堀で国籍を超えて人と出会い、自分の居場所を見つけていった。「家族以外のコミュニティがないと、かなりきついと思います」。駐夫生活を続けるうえで、それは実感を伴った言葉だった。

「既存の価値観」を置いて自分の言葉で生きる

タイで暮らすうちに、プラーさんの中で“働く”という言葉の意味そのものが変わっていった。以前は、働くことが人生の中心だった。長く働き、家族を支えることが幸せだと思っていた。しかしタイでは、平日の昼間に買い物をする男性も珍しくないし、妻が主体となって働く家庭も多い。誰も、人の生き方を必要以上にジャッジしない。その空気は、日本で感じていた「何かに属していないといけない」という圧力を、少しずつ溶かしていった。

「働くことって、本当は家族と生きるための手段だったんですよね」。気づけば、「男とは」や「女性の役割」といった感覚も、自分の中から薄れていた。今では、自分が家事をすることに違和感はない。むしろ、「自分は家事が嫌いじゃなかった」と笑う。得意料理は豚汁と鶏大根。娘の弁当づくりにも工夫を凝らす。収入は減ったが無駄な贅沢も減った。それでも、精神的な充足感は以前より大きい。家を守る男になったことで、プラーさんは初めて「どう生きたいか」を自分の言葉で考えられるようになったのだろう。

「バンコク駐夫グループ」への参加希望・お問い合わせはこちらまで

会社を辞めて帯同するなんて、自分だけかもしれない。そんな不安を抱えながらタイへ来た男性は、実は少なくありません。「バンコク駐夫グループ」は、妻の海外赴任に帯同する男性たちを中心としたコミュニティです。家事や育児、将来のキャリア、不安や孤独感まで、同じ立場だからこそ話せることがあります。情報交換はもちろん、スポーツで体を動かしたり、趣味の交流などを通じて、会社とは別の居場所を作っている人たちがいます。現在、帯同中の方はもちろん、これから帯同を予定している方、少し話を聞いてみたいという方も歓迎しています。まずはお気軽にお問い合わせください。

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