
「鰯の頭も信心から」という言葉がある。どんなにつまらないものでも、信じる心があれば尊いものに変わるという意味だ。最近になって、この言葉の奥にある“人が何かを信じる力”の大切さをしみじみ感じるようになった。メンタルの相談を受ける機会が増えたこともあり、なおさらそう思う。人はよりどころを持てるだけで、心のありようを変えられる。
信じると言えばまず宗教を思い浮かべるが、よく考えてみれば、私たちは日常のあらゆる場面で信じることに支えられている。電車が時刻表どおりに来ること。天気予報がある程度当たること。蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば電気がつくこと。信号機が正しく作動し、ニュースが事実に基づいていること。銀行に預けたお金がなくならないこと。そして、人との約束が守られること。これらはすべて、私たちが無意識に信じている“前提”だ。
しかし、こうした前提は、タイで暮らしていると揺らぐことがある。電車が遅れたり、行政サービスが急に変わったり、信号通りに人が動かなかったりする場面に出会う。日本でも最近は、政治や報道の不透明さ、道路の陥没など、以前より不安を感じる事例が増えているように思う。安定していると思っていたものが揺らぐと、思いのほか心細くなるものだ。

医療の世界でも、信じることの力を実感する場面は多い。たとえば薬。プラシーボ効果という言葉が示すように、「効く」と思うだけで症状が改善することがある。「これで良くなる」という思いが、人が本来持っている回復力を引き出すのだろう。そして、医療者の言葉。丁寧な説明と「大丈夫ですよ」という一言が、患者さんの表情を明るくすることを何度も見てきた。信じることは、心だけでなく身体にも影響を与える。
もちろん、信じることには危うさもある。マスコミの偏向報道やフェイクニュースが広がる今の世の中では、真偽を疑う姿勢も必要だ。ただ、疑いだけでは心は乾いてしまう。妄信は危険だが、それ以上に、信じられるもの、よりどころを持つことには人を支える力がある。
「信じる者は救われるか」。その答えは、信じることが人を結び、家庭や社会を静かに支えているという事実にある。前提が揺らぎやすい時代だからこそ、私たちは互いに信じられる存在でありたい。
大阪の高槻病院で長年小児・新生児医療の第一人者として臨床・研究・教育に携わる。サミティベート病院では医療相談やセミナーで邦人社会をサポート。現在は出張ベースで相談やセミナーを継続中。齢50にして長年の不摂生を猛反省、健康的生活に目覚めるも、しばしばリバウンドや激しすぎる運動で体を壊しがち。