
百日咳が再び流行している。激しい発作的な咳が長く続き、睡眠障害や肋骨骨折を招くこともある厄介な感染症だ。乳児では重症化しやすく、発育に影響を残す恐れがあるため、生後六か月までに三回の予防接種が行われている。今回の再流行の背景には、百日咳に対する免疫を持たない人が増えたことがある。ワクチンの効果は五年ほどで弱まるが、かつては小さな流行に触れることで免疫が自然に補強され、集団全体の防御が保たれてきた。ところがコロナ禍の社会的隔離により、この「自然ブースター」が途絶え、子どもも大人も抵抗力を失ってしまった。今、最後の接種から五年以上経つ人々、特に妊婦とその家族への追加接種が勧められている。

もう一つの問題は、百日咳菌に抗菌薬が効きにくくなっていることだ。細菌は薬という脅威にさらされると、突然変異や遺伝子の受け渡しによって耐性を獲得し、生き残っていく。このしたたかさを見ていると、人間社会にも似た現象が起きているのではないかと思わされる。不安や恐怖に直面すると、他者を外敵とみなし、SNSの炎上や派閥争いに見られるような先鋭化が進む。心の免疫反応が過剰に働き、攻撃や批判によって自分を守ろうとするのだ。
だが、ここにはもう少し賢い解決法がある。過激な反応やあきらめの境地に陥るのではなく、定期的なワクチン接種のように、自分の弱さや限界を知り、あらかじめ備えることだ。耐性菌との闘いが知恵と節度によって進められるように、人間社会も対立ではなく対話を選べるはずである。不安に対して変異や先鋭化ではなく、平常心で応じるすべを身につけること。わたしに、そして皆さんにとっての「こころのワクチン」とは何か、今一度考えてみたい。
大阪の高槻病院で長年小児・新生児医療の第一人者として臨床・研究・教育に携わる。サミティベート病院では医療相談やセミナーで邦人社会をサポート。現在は出張ベースで相談やセミナーを継続中。齢50にして長年の不摂生を猛反省、健康的生活に目覚めるも、しばしばリバウンドや激しすぎる運動で体を壊しがち。